相続争いの実例7選
普通の家庭で実際に起きた
トラブル事例と対策
「うちは大丈夫」と思っていた家族ほど、深刻な争いに発展する――。家庭裁判所の統計データと実際の解決事例をもとに、相続トラブルのリアルと具体的な予防策を解説します。
データで見る相続争いの実態
「相続で揉めるのは資産家だけ」——これは最も危険な誤解です。最高裁判所が公表している司法統計が示す現実は、多くの方の想像とはかけ離れています。
この数字はあくまで裁判所に持ち込まれたケースであり、弁護士を介した示談や当事者間の交渉で解決したものは含まれていません。実際のトラブル件数はこの数倍に上ると推測されます。
さらに注目すべきは、遺産額ごとの内訳です。
| 遺産総額 | 割合 | 特徴 |
|---|---|---|
| 1,000万円以下 | 約33% | 分ける財産が少ないからこそ譲れない |
| 1,000万〜5,000万円 | 約43% | 不動産+預貯金の典型的な家庭 |
| 5,000万〜1億円 | 約15% | 不動産評価額の算定で争いやすい |
| 1億円超 | 約9% | 複雑な資産構成で長期化しやすい |
全体の約76%が遺産総額5,000万円以下で発生しています。一般的なサラリーマン家庭で持ち家があれば、十分にこの範囲に入ります。「うちには大した財産がないから大丈夫」という考えは、むしろ最も危険です。
「遺産が多いから揉める」のではなく、「遺産の中心が不動産で分けにくい」「相続人間のコミュニケーション不足」が争いの本質です。遺産額の多寡にかかわらず、事前の対策が不可欠です。(監修:尾畠弁護士)
事例①:介護10年の献身が「ゼロ」にされた妹
事案の概要
父親(享年78歳)が脳梗塞で倒れた後、次女が仕事を辞めて実家に戻り、10年間にわたり在宅介護を行いました。長男は東京で会社員として勤務し年に数回帰省するのみ、三男は大阪で自営業を営みほとんど実家に顔を出しませんでした。
争点:四十九日法要後の衝突
父の死後、長男は「法定相続分で3等分」を提案。次女は10年間の介護に対する寄与分を主張しましたが、三男から返ってきたのは予想外の言葉でした。
三男:「姉ちゃんは実家にタダで住んでたわけじゃん。家賃ゼロで10年住めたんだから、それで十分じゃないの?」
毎日の排泄介助、夜間の対応、病院への付き添い——それらが「家賃ゼロの恩恵」で帳消しにされる。次女の衝撃は計り知れないものでした。
調停・審判の経過
話し合いは決裂し、次女は家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てました。寄与分を主張しましたが、最大の障壁は「立証の壁」でした。
次女は介護日誌をつけておらず、領収書もほとんど保管していませんでした。「家族だから当然」という善意が、法的な場面では自らの首を絞める結果となったのです。
調停は不調に終わり、審判に移行。最終的に認められた寄与分はわずか200万円。10年間の介護に対して年間20万円、月あたり約1万6千円という評価でした。
寄与分の立証には客観的証拠が不可欠です。介護日誌、医療費・介護費の領収書、要介護認定の記録、ケアマネージャーの記録、通院の記録などを日常的に残しておきましょう。「家族だから」と記録を怠ると、法的には「何もしなかった人」と同じ扱いになりかねません。
共同相続人中に、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした者があるときは、相続開始時における被相続人の財産の価額から寄与分を控除したものを相続財産とみなし、寄与分を加算した額をもってその者の相続分とする。
事例②:父の死後に現れた「もう一人の子ども」
戸籍謄本で発覚した「認知」の記載
商社に勤めていた父が74歳で亡くなり、相続手続きのために出生から死亡までの連続戸籍を取得。そこに家族の誰も知らない名前が記載されていました。36年前、結婚2年目にして父が別の女性との間にもうけ、認知した子どもの存在が発覚したのです。
母親の衝撃は想像を絶するものでした。36年間連れ添った夫の裏切りが、死後に明らかになったのです。
法的に認知子の相続分は嫡出子と同等
2013年の最高裁決定(最大決平成25年9月4日)以降、婚外子の相続分は嫡出子と同等です。認知された子には、他の子と同じ割合の相続権があります。
長男は「会ったこともない人間に財産を渡せない」と激しく反発。しかし法律上は、認知子にも遺産全体の約6分の1(1,000万円以上)の相続権がありました。
泥沼化した調停
認知子の現住所の特定に3ヶ月を要し、弁護士を介して連絡。長女は協議への出席自体を拒否し、母は精神的に不安定になり心療内科に通い始めました。
最終的に家庭裁判所の調停を経て約950万円が認知子に支払われましたが、解決まで2年4ヶ月。家族に残ったのは亡き父への不信感と深い傷でした。
相続手続きでは必ず被相続人の出生から死亡までの連続戸籍を取得します。そこで初めて婚外子や養子の存在が判明するケースは珍しくありません。被相続人は生前に遺言書を作成し、すべての相続人に配慮した分配を記載しておくことが重要です。また、2013年以降、婚外子の相続分差別は撤廃されている点を理解しておく必要があります。
事例③:実家という「分けられない爆弾」
「分けようがない」遺産の構造
遺産の大半が都内近郊の実家(評価額3,800万円)で、預貯金はわずか700万円。長男は父と同居しており、妻と子ども2人もこの家で暮らしています。
法定相続分で3等分すると一人あたり約1,500万円。長男が実家を相続するなら、次男と長女にそれぞれ約1,500万円の代償金を支払う必要があります。しかし長男にそんな現金はありませんでした。
次男:「だったら家を売ればいい。3人で分ければ公平だろう」
長男:「子どもが中学に通ってる。転校させろって言うのか」
共有名義という「時限爆弾」
妥協案として3人の共有名義にしましたが、これが事態をさらに悪化させました。次男は自分の持分に担保をつけて融資を受けようとし、長女は持分を第三者に売却したいと言い出しました。
さらに3年後、次男が離婚。元妻が財産分与として次男の共有持分の一部を主張し、相続人でもない人間が実家の権利関係に入り込む事態に発展しました。
8年越しの決着
最終的に長男は退職金の前借りと銀行融資で次男・長女にそれぞれ約1,200万円を支払い、8年をかけて実家を単独所有に戻しました。兄弟3人は年賀状のやり取りすらしなくなりました。
遺産の大半が不動産の場合、共有名義は避けるべきです。共有名義にすると売却・賃貸・リフォームすべてに全員の合意が必要となり、離婚や死亡によって共有者が増え続けるリスクもあります。被相続人が生前に不動産の処分方針を遺言で明確にするか、生命保険を活用して代償金の原資を用意しておくことが有効です。
事例④:遺言書が2通出てきた日
正反対の内容を持つ2通の遺言書
母(享年85歳)の死後、長男が仏壇の引き出しから「全財産を長男に相続させる」と書かれた自筆証書遺言(3年前付)を発見。しかしその後、長女がクローゼットから「全財産を長女に相続させる」と書かれた別の遺言書(1年前付)を見つけました。
民法第1023条により、複数の遺言書の内容が矛盾する場合は後に書かれた遺言書が優先されます。つまり長女の遺言書が有効となる可能性が高い状況でした。
「遺言能力」をめぐる3年超の訴訟
長男は遺言無効確認訴訟を提起。「1年前の時点で母は中程度の認知症であり、遺言能力がなかった」と主張しました。
一審では2通目の遺言書は有効と判断されましたが、控訴審で追加の医療記録・介護記録が精査された結果、判決が覆り、2通目は無効に。しかし長女は遺留分侵害額請求を行い、結局長男は約1,250万円を支払うことになりました。
決着まで5年以上、弁護士費用だけで合計約600万円。兄妹は二度と口を利かなくなりました。
自筆証書遺言は手軽ですが、複数作成・遺言能力の争いなどリスクが大きいです。公正証書遺言であれば、公証人が意思能力を確認した上で作成するため、後日の紛争リスクを大幅に減らせます。2020年7月からは法務局での自筆証書遺言保管制度も始まっており、活用を検討しましょう。
事例⑤:兄の口座から消えた3,000万円
消えた3,000万円
一代で事業を築いた父(享年87歳)の遺産は相当額に上るはず——次男が金融機関で残高照会をした時、5年前に約8,000万円あったはずの資産が5,000万円まで減っていました。
父と同居していた長男は「介護にかかった費用」と説明しましたが、父は要介護2で在宅サービスの月額費用はせいぜい10万円程度。5年間で600万円にしかなりません。
取引履歴が暴いた事実
弁護士を通じて過去10年分の取引履歴を取得すると、父が入院中で外出不可能な期間にもATMから月50万〜100万円以上が引き出されていました。さらに、父名義の定期預金1,500万円が解約された同日に、長男の住宅ローンが一括返済されていたことが判明しました。
不当利得返還請求訴訟の結末
10年分の取引履歴・介護保険明細・医療費領収書を一つひとつ仕分けた結果、裁判所が認定した使い込み額は約2,200万円。長男は次男・三女にそれぞれ約730万円の返還を命じられましたが、すでに住宅ローン返済と生活費に消えており、結局長男は自宅を手放すことになりました。
被相続人と同居する家族が財産を管理するケースでは、使い込みトラブルが極めて多発します。生前から財産管理の透明性を確保するため、家族信託の活用、複数の相続人による通帳確認、成年後見制度の利用を検討すべきです。また、被相続人に代わって出金する場合は、使途を記録し領収書を保管しておくことが不可欠です。
事例⑥:「あなたは国立大でしょ」——特別受益をめぐる対立
配偶者の一言が引き金に
仲の良かった兄弟の遺産分割協議で、兄の後妻が「弟は国立大学なんだから、教育費に差がある。私大だった兄の取り分が多くて当然」と発言。兄もこの主張を支持し、30年以上前の学費の差額を特別受益として主張しました。
調停での判断
特別受益に該当するかは、親の資産・社会的地位に照らして「通常の扶養の範囲」を超えるかで判断されます。本件では調停委員が「国立大と私立大の学費差は通常の扶養の範囲内」と判断し、特別受益は認められませんでした。
結論は法定相続分で2等分。しかし、弟の心に残ったのは金額以上の傷でした。「兄が配偶者の言いなりになったことが一番つらかった」と弟は語っています。
相続人の配偶者が協議に介入することは、トラブルの最大の火種の一つです。遺産分割協議には法的には相続人のみが参加する権利があります。また、特別受益については海外留学費用や医学部の学費など、明らかに高額な場合に認められる傾向があり、一般的な国公立・私立の学費差で認められるケースは限定的です。
事例⑦:音信不通の相続人で手続きが2年間停止
一人でも欠けると協議は無効
母の死後、長男と次女は速やかに遺産分割を済ませたいと考えましたが、三男は5年前から音信不通。借金問題で家族と対立した後、携帯を解約して姿を消していました。住民票上の住所を訪ねてもすでに転居済み。
遺産分割協議書は相続人全員の署名・実印が必要であり、一人でも欠けると無効です。三男なしには預金の解約も、実家の名義変更も、何もできませんでした。
不在者財産管理人の選任
弁護士の助言で家庭裁判所に不在者財産管理人の選任を申し立て。選任までに半年以上を要し、管理人は三男の利益を守る立場から「法定相続分の確保」以外の柔軟な協議には応じません。
選任から協議成立まで1年。母の死から合計2年以上にわたり、預金は凍結されたまま、固定資産税や管理費用は長男と次女が立て替え続けました。
家族間で連絡が途絶えている人がいる場合は、特に注意が必要です。被相続人は遺言書(特に遺言執行者を指定した公正証書遺言)を作成しておくことで、相続人の一部が行方不明でもスムーズな手続きが可能になります。
相続争いを防ぐための7つの対策
ここまで見てきた7つの事例すべてに共通しているのは、生前の準備が圧倒的に不足していたということです。以下に、専門家が推奨する予防策をまとめます。
よくある質問(FAQ)
家庭裁判所の統計(令和6年司法統計)によると、遺産分割に関する調停・審判のうち約75%は遺産総額5,000万円以下のケースです。遺産額1,000万円以下でも約33%を占めており、資産家でなくても相続争いは起こります。むしろ「分ける財産が少ないからこそ、譲れない」という心理が働きやすいのです。
民法の「寄与分」制度(904条の2)により、被相続人の療養看護に特別の寄与をした相続人は法定相続分に上乗せできる可能性があります。ただし、客観的な証拠による立証が必要です。介護日誌、領収書、要介護認定記録などを残しておくことが極めて重要です。また、平成30年の民法改正で、相続人以外の親族(例:長男の妻)も「特別寄与料」を請求できるようになりました。
民法第1023条により、前の遺言と後の遺言が矛盾する場合は、後に書かれた遺言書が優先されます。ただし、後の遺言書の作成時に遺言者に遺言能力がなかった場合は無効となります。このような争いを防ぐためには、公正証書遺言を作成し、以前の遺言書は確実に破棄しておくことが推奨されます。
遺産分割協議には相続人全員の参加が必要です。行方不明者がいる場合は、家庭裁判所に「不在者財産管理人」の選任を申し立てます。管理人が行方不明者に代わって協議に参加しますが、選任まで数ヶ月〜半年程度かかることがあります。7年以上行方不明の場合は「失踪宣告」の申立ても選択肢になります。
最も効果的なのは、被相続人が生前に公正証書遺言を作成しておくことです。遺言書があれば遺産分割協議自体が不要となるケースも多く、トラブルの大部分を予防できます。加えて、財産目録の作成、生命保険を活用した代償金の準備、家族信託の活用、そして家族全員での事前の話し合いが有効です。
まとめ:「うちは大丈夫」が最も危険な言葉
本記事で紹介した7つの事例に共通しているのは、当事者全員が「まさか自分たちの家族がこんなことになるとは思わなかった」と感じている点です。
相続争いは、遺産の多寡にかかわらず発生します。家庭裁判所の統計が示すように、紛争の約4分の3は一般的な家庭の資産規模で起きています。そして一度争いが始まれば、解決までに数年を要し、弁護士費用は数百万円に上り、何より家族の絆が修復不可能なレベルで破壊されます。
しかし、これらのトラブルの多くは、適切な生前対策によって防ぐことができます。遺言書の作成、財産管理の透明化、介護記録の保存、家族間のコミュニケーション——いずれも、今日から始められることです。
「うちは大丈夫」ではなく、「うちこそ準備が必要」という意識を持つことが、家族を守る第一歩です。
